桜とともに刻んだ150年の歴史

桜に彩られながら歩んできた高遠城址公園の歴史をご紹介します。

廃城から公園へ

高遠城址公園は、1875年(明治8年)に公園化。日本における公園制度草創期に誕生した数少ない公園の1 つで、令和7年で150 年を迎えました。旧藩士たちが植えた桜は地域住民や桜守によって大切に守られ現代へと引き継がれています。
廃城を経て公園となり、「天下第一の桜」と称されるほどの桜の名所となった高遠城址公園のあゆみを振り返ります。

明治時代の高遠城址公園遠望

明治、大正、昭和、平成、令和
~五つの時代を繋いで~

明治

1869(明治2)年 版籍奉還
高遠城主の内藤頼直は知藩事となり、高遠藩知事に任命される。
1871(明治4)年 廃藩置県
高遠藩から高遠県になり、その後松本県他6県と統合し、筑摩県となる。
1872(明治5)年 高遠城の廃城
建物の取り壊し、樹木の伐採、土地の処分が行われる。
それぞれ民間に払い下げられ、翌年、城跡は更地になる。
1873(明治6)年 公園制度の発足(太政官布達第16号)
東京浅草、上野、芝など5カ所に日本初の公園が誕生する。
1875(明治8)年 高遠城跡の公園指定
6月に指定申請、10月に公園指定を受ける。
現在の長野県内で最初に指定された4カ所の公園のうちの1つ
1876(明治9)年 城下の桜ノ馬場から桜の苗や芝草を移植
東高遠町の旧藩士らが中心となり、現在の高遠町小原にあった
「桜ノ馬場」から芝草や桜のひこばえ(若芽)を掘り取り、公園に植える。
公園守を置いて、花や樹の管理、公園の清掃などを行う。
1877(明治10)年 本丸に太鼓櫓を建築
1943(昭和18)年まで、公園守が2時間毎に時を告げる太鼓を打ち鳴らした。
1881(明治14)年 本丸に高遠公園碑を建立する。
江戸時代中期の桜ノ馬場『高藩探勝』絵巻より「桜馬場春駒」
本丸でのお花見の様子(大正時代)

大正・昭和

1934(昭和9)年 二ノ丸に「天下第一櫻」の碑を建立する。
1936(昭和11)年 公園のシンボル「高遠閣」落成
二ノ丸内の北東に、池上秀畝ら地元出身の有志や地域住民の寄付により建設される。
1940(昭和15~24)年代 戦争による食糧難が深刻化する中、桜は伐採され、園内は「食糧増産の畑」としていた。
終戦後、先人の意思を引継ぎ、再び桜を植える。
昭和20年代 本丸入口に城下から問屋門を移築する。
1958(昭和33)年 園内の一部が三峰川水系県立公園に指定される。
1960(昭和35)年 「高遠のコヒガンザクラ樹林」が県天然記念物に指定される。
1964(昭和39)年 高遠城跡が県史跡に指定される。
1973(昭和48)年 高遠城跡(進徳館含む)約12.6ヘクタールが国史跡に指定される。
1976(昭和51)年 城跡の内5.5ヘクタールが都市公園「高遠城址公園」になる。
1979(昭和54)年 桜をシンボルとする「高遠町桜憲章」を制定する。
1983(昭和58)年 桜愛護のため、高遠城址公園さくら祭り有料入園化
二ノ丸から桜雲橋 方向を撮影  1949(昭和24)年
出店建物が並ぶ様子  1957(昭和32)年
弁財天河原臨時駐車場 1970年代
当時の弁財天河原臨時駐車場は、観桜客を乗せた大型バスで溢れ返っていた。1970年代後半以降は、自家用車が普及し、道路の交通渋滞はさくら祭りの課題となっていった。

平成

1990(平成2)年 タカトオコヒガンザクラの命名
「国際さくらシンポジウムin高遠」において、城址公園や周辺に植生するサクラは固有の貴重なものであることが認められ、正式に「タカトオコヒガンザクラ」と命名される。
高遠城址公園が「さくら名所100選の地」に選ばれる。
2000(平成12)年 観桜期の有料入園者が過去最多の39万3,604人を記録する。
2002(平成14)年 累計有料入園者500万人達成、観桜期ライトアップが始まる。
2006(平成18)年 高遠城が「日本100名城」に選ばれる。
2019(平成31)年 累計有料入園者900万人達成する。

令和

2025(令和7)年 高遠城址公園 開園150周年
園内のタカトオコヒガンザクラは、大部分が植樹から80年が経過し、老木化が進んでおり、桜守を中心に樹勢回復に取り組んでいます。
高遠城址公園さくら祭りを彩るポスター
左:1965(昭和40)年、右:2025(令和7)年
時代は変わっても、色あせない桜の魅力を表現している。